2022ドロミテスーパーフライに岡田が出場
ドロミテスーパーフライとは
イタリアのドロミテ山塊で行われるハイク&フライレースです。レビコテルメ(Levico Terme)をスタートし、決められた場所を所定の方法で通過しスタート地点のレビコテルメまで戻る時間を競います(通過ポイント間を結んだ直線距離は400km)。
そのための手段は自分の足で歩くこと、走ることそしてパラグライダーでフライトすることのみです。また選手は必ずフライト機材、および携帯電話・ライブトラッカーなどの安全装備を携行することが義務付けられています。
スタートは8月21日10時、タイムリミットは8月26日16時。出場選手は主催者により選抜され、今回は世界各国から38名の選手が参加しました。選手には必ず1名のサポーターがつき、食糧補給、安全確認、天気予報やルート確認など様々な任務を行います。
今回、38名のひとりとして選抜され、無事にレースを終えることができました。そのレポートをお届けします。
岡田直人(JMB富士見パノラマパラグライダースクール)
ドロミテスーパーフライを終えて
8月21日(day1)
北風が強くスタート地点直上のテイクオフは使えそうもありません。そのため、まずスタート地点より南に距離で20km、高度差1000mのコルネットまで走ることになりました。詳細な位置はイタリアチームの地元モレノが教えてくれました。コルネットから飛べるとしたら、第1ターンポイントまでは35kmほどです。
途中に着地できる場所はあまりなく、また降りられたとしてもバレーウインドは強く、なおかつ第1ターンポイントまで飛ぶより倍以上の距離を歩くことになります。最初から緊張感漂うなかで、10時にスタートを迎えました。
今回のサポーターは前回同様にイタリアのベテランパイロットのダビデ(前回のX-Alps扇澤チームのサポーターも務めています)。さらにダビデが、私と一緒に山を登ってくれるパートナーとして数多くのヨーロッパの山岳レースで優勝しているパウロを呼んでくれました。
10時のスタートとともに全選手、コルネットに向かって走り始めます。自分のペースで行こうとしますが、やはり雰囲気に押されややペースアップ。30℃以上の暑さも加わりバテ気味でしたが、中盤よりもやや遅れてテイクオフに到着することができました。
11時ごろにはサーマルも十分ということでしたので、早めに到着できればサーマルタイムを長く使うことができます。私が8合目あたりに到着するころには、トップ集団はテイクオフを開始していました。
不整地で急斜面な場所でしたので、テイクオフに失敗は許されません。緊張の中でのレース最初のテイクオフとなりました。後で聞いたところによるとこのテイクオフで1名の選手が負傷。早くも棄権(ライブトラックではWDと表示)です。
私はなんとか2700mの雲底につけて第1ターンポイントにむけてグライディング開始。フライトルートは事前にダビデから聞いていたので、周りの選手を見ながらそのルート上をフライトすることになりました。
順調に進み、残り10kmを切ったところで、事前に下見に行っていたスキー場が見えてきました。ターンポイントはその先です。あとは岩盤沿い(東面)を飛んでいけば到着できそうでしたが、ルート上がオーバーキャスト。日の当たっているに西面に移りたいところですが、気づいたときには時すでに遅し。もう一尾根超えればというところで着地することに。
ダビデに連絡をすると、スキー場を登れば飛べるということで、さっそくパッキングをして登り始めました。高度差で700mほど。二登目はなかなかペースが上がりませんでしたが、稜線の上に出ることができました。しかし、ターンポイントにある東側は依然オーバーキャスト。西面から周り込めるのかもわからず判断に迷いました。
ダビデに聞きたいところでしたが、携帯電話は圏外。稜線をあっちへ行ったりこっちへ行ったりと歩くこと1時間。時間を浪費するたびに、疲れも加わり焦ります。決断は東側に飛び込むことにしました。越えることのできなかった尾根をなんとか越えると、第1ターンポイントが見えてきました。ホッとしたところで、スパイラルで一気に降下。ランディングが近づくと、何やら騒がしいなと思ったら地元の大声援でした。多くの方に出迎えられながらサインボードにサインをすることができました。
フライトを失敗すると怒るダビデも、今回はなぜだか「しょうがなかったね」と一言。私のあとの選手も何人か同じような場所に降りてしまったそうです。時間はここで17時前。18時に飛べればまだ距離を伸ばせるということで、直上のテイクオフへ(高度差で400mほど)。三登目はさらに足取りが重く、パウロにペースメーカーとなってもらいなんとかテイクオフへ到着。
しかし、ここで18時半。急いで準備をしますが、どうにも上昇できる要素がありません。明日はさらに北風が強い予報(第2ターンポイントは北東方向)なので、今日はここで終えることにしました。
ライブトラックを切って、今日の活動終了を主催者に連絡をすれば、その後は選手も車で移動も可能となります。翌朝、同じ場所に戻って活動再開となります。
トップ集団は来たルートを戻るように北上に成功したようです。サーマルタイムに地上にいると、一気に距離が離されてしまうことを痛感しました。
8月22日(day2)
昨日終えた場所から再開です。ただ、サーマルタイムまでは時間があるので、さらに上部にあるテイクオフに移動することにしました。昨日尾根越えを成功したあたりです。
登山にはパウロ、そして地元のロベルトがいっしょに来てくれることになりました。また、途中でほかのパイロット3名とも合流し、大所帯での登山となりました。3時間ほど歩いて目的地に到着。まだ、サーマルの活動はなさそうなので、さらに良い場所を求めて1時間ほど歩き、そこで風を待つことにしました。
この時点でプランは2つ。来たルートを戻って北上するか(最短ルート:オレンジ)、遠回り(水色)ながらも南側を飛んで行くか。予報では北風が強くなるとのことですが、できれば最短ルートで行きたいところです。テイクオフではパイロットの話も聞いたり、パウロがダビデと電話で話したり(ただし電波状況が悪くチャットで)、ロベルトも情報を集めてくれています。
ひとまず飛ぶ準備を進めますが、肝心のサーマルブローが上がってきません。場所が悪いのか、こんな日なのか・・。12時を過ぎたところで先頭集団は強い北風に阻まれ前進できていないとのこと。
その情報をもとに、南ルートを決定。南ルート上にある有名なエリア・バッサノの雲底はあまり高くないものの、サーマルは良好とのこと。ルートは決まりましたが、そのルート上に乗るまでに選択肢が2つ。北側の岩盤沿いに行くか、低い山を乗り継ぎながら南に一気に行くか。
いつもなら真っ先にテイクオフするところですが、せっかく何人もパイロットがいるので最後にテイクオフ。3名の選手はみんな岩盤回り、でも上がらずにドンドンと下がっていきます。地元のロベルトは「俺を信じるならついてこい」とのことで南側へ。
雲があることを確認して、私もロベルトを追いかけました。しかし、頼みの綱のロベルトが谷に吸い込まれるようにそのままランディング。私はなんとか弱いサーマルを捕まえてジリジリと上昇。ようやく稜線をトップアウトしたところで、西側(進行方向)に雲を発見。この雲で一気に上昇し、50km先のバッサノを目指すことに。バッサノまでは南に面した山が続きます。
途中で北側の岩盤沿いを飛んできたパイロットとも合流、さらにバッサノから飛んできた機影もいくつか見え、ホッとしました。ゆっくりながらバッサノに到着。通常であればここから北側のフェルトレの谷に入るところですが、朝のミーティングではもう少し先のベルーノまで行こうと話をしていたので、そのまま東へ。
ただ、これがミス。あとでダビデに聞くとフェルトレに行けそうもなければ東進、行けるのであればフェルトレ(北進)ということでした。東進した先でなんとなく不安になったので、山の上部にトップラン。ダビデと連絡を取ることに。
案の定、怒っています『なんでフェルトレに行かなかったんだ~~』。ほかのパイロットはフェルトレに入ったそうです。山の上部を飛びながらすこし移動して、山の上に泊まることにしました。携帯電話の電波状況がよければ、無線が通じていれば・・と思うこともありましたが、結局は自分の計画がしっかりとできていなかったから招いた結果です。
8月23日(day3)
3日目。山頂に泊まっていたので、朝から東面を使って北進する予定でした。パウロと歩いてテイクオフに最適な場所に到着しフライトの準備をしたところで、「そこから北に進むのは難しそう」とのダビデからの連絡で、フェルトレに抜ける谷までフライダウンすることになりました。すでに谷の中は北風が強めでしたが、このあと歩くには良いポジションにランディング。
先行しているグループも北風でなかなか前には進めていないとのことでした。また、強めの北風で1名の選手がクラッシュ、さらになかなか第一ターンポイントを通過できなかった選手のなかからも棄権が相次いだようです。
着地後は、翌日フライトできる場所に近づくべく走りました。1時間おきぐらいに、ダビデとパウロが水、食べ物などを補給してくれました。天気予報では高層雲が張ってくるはずでしたが、それもなく気温は30℃ほど。谷の中は交通量も多く、特に歩道もないため気がぬけませんでしたが、フェルトレの谷に入ってからは歩道もあり安心して走ることができました。
休憩をはさみながら8時間ほど走って、なんとかテイクオフポイントへ到着できる見込みが立ちました。明日の朝はテイクオフ予定地点まで残り20kmを走る予定です。
8月24日(day4)
朝6時から走り始めました。目的地のアーゴルドには2か所のテイクオフがあるそうです。麓に到着した時点で、高度の高いテイクオフに行くか、低いほうから飛ぶか決めることにしました。いずれにしてもまずは20kmのラン。
ダビデは地元のパイロットと連絡を取りながら、今日のコンディションをチェックしてくれています。朝のランニングは気温もまだ低いので、比較的快調に行くことができました。ただ、徐々に登りになるためペースも落ちてきます。それでもダビデからは予定より早くいっているとのこと。高度差のあるテイクオフまで行くことにしました。今日のスタート地点から1000mアップとなります。
最後200mアップするところはトレイルになるため、ここでダビデとはお別れ。入念にフライトルートを確認しますが、いずれにしても岩山をいくつも飛び越えていくようなフライトになります。
準備が整ったところでトレイルに入りました。林の中を抜けると自然にできあがったようなテイクオフ。草は伸びていて、足場も悪く急斜面。テイクオフに風がまっすぐ入ってこないので、サーマルブローのサイクルもわかりづらい感じです。
ダビデは風の状況がわかる場所に地元のパイロットといっしょに移動してくれていて、逐一情報をパウロに送ってくれます。
1時間ほど待ったでしょうか、サーマルも整いつつありそうなのでテイクオフ。とらえどころない地形のなか、ダビデと無線でやり取りをしながら最初のサーマルをゲットすることに集中します。小さく荒れたサーマルになんとかタイトに食い込むようにしますが、なかなか芯をとらえることができません。
そんなことを15分ほど繰り返してようやく上昇開始。なんとか岩盤に流せる高さまでになるとあとは順調に最初の岩峰をトップアウト。高度3000mでまずは一つ目クリア、裏に流します。次の岩盤に取り付いてもう一度上げ直し・・そんなことを繰り返しながら、25km先のアンテラーオの岩峰に到着。
ここでもう一度、3000mまで上げることに成功しましたが、ナビゲーション機器が動かなくなり、岩峰のどっちを通っていけばよいか迷っているうちに高度ロス。ダビデから頻繁に電話が鳴りますが、電話を取れる状況ではなく、電話を取った時にはすでに時すでに遅し。谷の中に降りることになりました。
私がアンテラーオで3000mになったところで、ダビデは次のターンポイントに到着できることを確信していたそうですが、期待に応えることができませんでした。
気持ちを切り替えて、コルティナダンペッツォの町まで走ることにしました。ただ、なかなか気持ちも切り替えることができず、ここでペースを上げることができませんでした。
20時まで4時間ほど走って、コルティナの町の先まで。明日は上り下りを繰り返しながら2000mアップ、トレチーメの脇まで登って2つ目のターンポイントに向かってフライダウンする予定です。
8月25日(day5)
今日も6時から活動開始です。次回冬季オリンピックが行われるコルティナから、隣町のミズリーナまではアスファルト道を走ります。ミズリーナから目的地となるトレチーメの岩峰まではひたすらトレイルを登ることになります。
今回もパウロがいっしょに登ってくれます。パウロは飲料水、補給食を余分に持ってくれていますので、途中でなくなる心配がなく助かります。ドロミテの雄大な景色が周りには広がっているようですが、まったく目に入ってきません。なんとか予定通り、垂直に切り立った岩峰のとりつきまで到着しましたが、ここからテイクオフは無理そうです。
さらに歩いて一つ尾根を越しますが、目的地のセストの町が見えてきません。パウロも焦りはじめ、すれ違う登山者に、どこまで行けばセストの町が見えるか聞いてくれています。どうやらもう一つ尾根を越さないいけなさそうです。
到着したと思ってからひたすらアップダウンを繰り返したため、最後はガクンとペースが落ちてしまいましたが、6時間ほどの行程でようやくテイクオフできそうな場所に到着しました。すぐに用意して、フライト。3kmほど岩盤沿いを飛ぶと真下にターンポイントを発見。すぐにスパイラル降下で着地。観光客で賑わう場所に置かれたサインボードにようやくサインをすることができました。
すぐにパッキングをして、その先にいるダビデと合流。谷の反対側にはセストのスキー場が広がり、パラグライダーが数機飛んでいるのが見えます。時間は13時。飛ぶには1000mアップ。到着するころにはサンダーストームの可能性もあり、ダビデと相談したところ今日のフライトはやめることにしました。
明日の最終フライトをベストポジションから行うため、残りの時間はひたすら走ることにしました。走っていると、セストのランディングにいるパイロットや先行するチームのサポートカーから声援をもらったり、ずいぶんと励まされました。
ひたすら西に向かって走っていると、予報通り黒い雲がドンドンと大きくなっています。それにあわせて蒸し暑さも増しましたが、途中でパウロがジェラートを買ってもってきてくれたり、気持ちを保ちながら進むことができました。19時前からサンダーストームとなりましたが、翌日のテイクオフポイントに時間通りに到着できる見込みがたったので今日の活動はここまでとしました。
8月26日(day6)
いよいよ最終日です。インスタントのみそ汁とハチミツをたっぷり塗ったパンで栄養補給して出発。目的地はテシードのテイクオフ。高度差で1000mちょっとです。余裕をもって9時すぎに到着。東西にのびる山並みを飛んで、70km先のターンポイントと取ることが目標です。
時間が早いこともあり、ダビデが情収集した情報がどんどんとスマホに飛んできます。最初のサーマルポイント、谷渡りの注意点、ブルニコの大きな谷渡り、そして最後のビビテノへの取りつき方・・・。
牛が放牧されているのどかなテイクオフの上空には、10時前ごろから雲ができ始めました。このテイクオフにもサーマルブローは入ってきにくいようなので、雲を観察しながらもういいだろうと思った10時半すぎにテイクオフ。
山の急斜面に入ったところでサーマルヒット。雲に取り付くことができたので谷渡り開始。ダビデの言っていたサーマルポイントで再びサーマルゲット。雲底も上がり3000m。次のブルニコの大きな谷渡りもこれでできそうです。山のピークの上を飛びながら西進。順調に進み、ビビテノのスキー場が見えてきました。スキー場に行くには大きな谷渡りがあります。なおかつ、向かう先のビビテノの高度が高く、対地高度が取りにくくなります。まずは再び3000mの雲底につけます。これで行けるだろうとやや前回りでグライド開始。これが失敗で、徐々に低くなりだすと谷風に阻まれ、あえなく山の中腹にランディング。
ここから飛んでも谷渡りは難しそうですが、飛んで少しでもターンポイントに近づくことにしました。なんとなくリフトがかっている斜面を飛んで数キロ距離を伸ばし、残り15kmというところでランディング。残り時間は1時間30分ほど。走ってターンポイントを取るには難しいところですが、タイムリミットの16時まで走ることにしました。
明日は走らないでいいと思うと、思いのほか走って距離を伸ばすことができました。ちょうど農道横のパラグライダーのランディングらしきところで16時。今回のレースを終えました。終了後は、閉会式に向けて、車で一路レビコテルメへ。
レースを終えて
私は1988年にはじめてパラグライダーの体験をして以来、そのほとんどの時間をインストラクターとして過ごしてきました。三浦さんに出会って、KPSでアルバイトをさせてもらいながらパラグライダーを勉強。3年後に日本初の教員検定会を受け、4/160という合格率の検定に無事合格でき、本格的なインストラクターとしての活動が始まりました。
その後、アエロタクト半谷さんとお会いし、様々なチャンスをいただきました。DHVのパフォーマンスインストラクター検定会、各教本の作成や執筆、FAAパラシュートリガー、APPIインストラクター資格の取得・・・現状に満足していると乗り越えることのできないハードルを提示していただいたことで、自分の技術・知識を向上させることができました。ほかにもパラグライダーを通じての多くの人との出会いは自分を成長させてくれました。
ドロミテスーパーフライに参加するプロアスリートのスピードは想像以上のものでした。競技会の場で、現在の私の力がどれほどのものであったか、自分で知ることができました。また、レース終了後のたくさんの賛辞は私の宝物となりました。
言葉にならない感情があふれ出た貴重な6日間を経験することができました。こうしたらゴールできたかなと思うことは色々とありますが、残った結果が実力なのだと思います。
閉会式では多くの選手、スタッフ、パイロットから賛辞をいただきました。棄権する選手が9名いる中で最後まで戦うことができたのはサポーターのダビデ、パウロ、そしてみなさんのご声援のおかげです。ありがとうございました。
最後に、8月のスクール繁忙期のなか、参加させていただいことに、スクール、スタッフ、パイロットのみなさまにこの場を借りてお礼申し上げます。